スマホ辞めますか?大学辞めますか?いや、どっちも辞めないよ?
大学生に伝えたいこと
この学長にスピーチに対して、ホリエモンこと堀江貴文氏が真っ向から反論しています。
ホリエモンによれば「スマートフォンの役割を過小評価している」とのこと。
私は全文を読んだ上でこの学長の意見は間違っていると強く思っている。
なぜならスマートフォンが果たしている役割を過小評価しすぎだからである。何度もこの連載でも書いたとおり、スマートフォンは単なる「多機能電話」ではない。
むしろ高性能な、インターネットに常時接続されているパソコンが非常に使いやすく持ち運びも便利になっていると考えたほうがいい。
学生のパソコン離れを嘆く声もあったりするが、それはスマートフォンが実質的にパソコンの役割を果たしているからである。
フリック入力という入力方式を使えば、ゼミのリポート程度ならスマホで書くことも十分可能だ。調べ物も簡単にできる。
これまでの教育は暗記型の詰め込み教育であったが、それはいちいち覚えていないことを調べるために図書館で書籍を借りて調べなければならず時間がかかっていたからである。
しかし、今は大抵の知識はインターネット経由で検索することができる。あるいはQ&Aサイトなどで知識を持っている人に聞くこともできる。むしろ調べたり覚えたりすることに時間を費やすことなく、考えることに時間を割けるようになってきているのである。
世代の違いによる考え方の違い
しかし、これは一文だけを抜粋して論議しているので、答えが出るはずもありません。前後に書いてある文にも目を向けて論議すべきだと思います。
信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。
先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。
この文に私は寒気が走りましたね。要は学生を囲いこんで洗脳するから外界の情報を遮断しろとも取れます。日本ではこのようにして一貫して洗脳に近い教育を施していることが多分にあります。
もちろん素晴らしい教えも含まれていますが、スマートフォンのスイッチを切らずとも自分で考え自分で行動できる人間はすでにやっていますし、それができない人間に「スマホやめろ」は思考硬直以外の何者でもありません。
仮に学生がそういう行動を取る恐れがあることを危惧しているからとしても教育とは別の部分の問題でしょう。
皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。
アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。
スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」
スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。
自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。
この学長はスマートフォンが使えないのでしょうか?アニメとゲームしか使えないと思っているとしか文面では伝わってきません。
別に「本を読む=情報収集」というのも昔の話なので金科玉条のように書籍を読むこと=善とするのは思考が硬直していると言わざるを得ない。とホリエモンもバッサリと言っています。
それともニュースなどで極端な放送ばかりされているのを見ているだけで発言したのでしょうか?
もし普段からスマートフォンを使っていて、その有用性を微塵も感じないのだったら教育者として疑問が出てきますし、使ってもいないのに発言しているのだったら学長と言う立場にありながら世間の動向を知らなすぎです。
そんな思考硬直な人間ですよと肯定している発言から今回のホリエモンの反対意見が出たのではないかと思います。
要は使い方
確かにこの学長の文を読んでいると多少なりとも思考が硬直していて、物事をキチンと見据えているかと言われると疑問が生じます。
しかし、本を読み様々な自然に触れて独創性を育てるという考え方はとても素晴らしいとは思うので、それにプラスして現代のスマートフォンを使った自然以外と触れ合うことも独創性を育てる上では大変有意義なことだと言うホリエモンの言葉にも納得できます。
「玉石混交」の現代の情報の選別の仕方、そんな話の方がむしろ学生の手助けになると思いますがね。
まぁ、つまり何が言いたいかと言うと「温故知新」と言うことですね。
「本を読んでもそれを人生に活かせるのはその中身の1%程度」
というのが私の考えです。
昔からある伝統を重んじ、自身で研鑽しそれを世界に発信する。新しいものにも古いものにも必ずいい部分があるものです。その両方を活かせる人間がこれから時代を引っ張っていってくれることでしょう。